黒潮洗う伊豆・小笠原諸島・南九州、琉球列島を舞台に、旧石器・縄文時代人の広範な海上移動を考古学資料から検証する。
神津島の黒曜石交易、沖縄・港川人の故郷、南九州・栫ノ原型石斧。
八丈島と太平洋の道、小笠原と謎の先史人、壺屋焼陶器と泡盛の道など、日本人の起源、太平洋を渡航した海の縄文人に迫る。
欧州において、初めて海洋航海が行われた。それは、地中海のエーゲ海周辺の黒曜石交易民だつた。約八千年前。
一方、我が國の中央部の太平洋上に浮かぶ伊豆諸島神津島に、海洋渡航を行つて石器製作材料の黒曜石の交易活動をしていた海に民がいた。
此の島の黒曜石を入手するには渡航具/筏舟、を利用した海上航行が必要であつた。
石器を主道具とする先史時代にあつては、黒曜石を多量に産出する神津島は、将に宝の島だつたのだ。黒曜石の利用は、縄文弥生時代まで続いた。
驚くことに、東京・武蔵野台地/野川流域、の旧石器人は、既に約三万五千年前に神津島産の黒曜石を利用していた。
火山活動によつて生成された天然ガラスである黒曜石は、打ち欠くと鋭利な剥片となる。細石刃として、鏃/やじり、や石斧、石匙などの利器として、利用れていた。
狩猟・採集を生業とする人々が、如何に黒曜石を求めてきたのか。
遠い原石産地から、山野を超えて、海峡を越えて、黒曜石の辿つた道は、古の御先祖様の生活と進化の軌跡に連なる。
橋本遺跡/神奈川県相模原市中央区、からは二万二千年前の黒曜石が発掘されている。約30%が神津島産である。
伊豆半島の先端に近い河津桜で有名な、宮林遺跡/静岡県河津町、から発掘された、黒曜石/神津島産、の石器は、三万数千年前の旧石器時代に遡る。
狩猟のために動物を追い込んだ、約二万八千年前の落とし穴とみられる土坑も見つかつている。伊豆半島では初めて、
調査は、2005年から2006年に、約三千平方メートルで実施。
時期 | 名称 | 位置 |
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紀元前7500年 – 紀元前6100年 | 彭頭山文化 | 長江中流域、湖南省北西部 |
紀元前7000年 – 紀元前5000年 | 裴李崗文化 | 黄河中流域、河南省 |
紀元前6500年 – 紀元前5500年 | 後李文化 | 黄河下流域、山東省 |
紀元前6220年 – 紀元前5400年 | 興隆洼文化 | 遼河流域、内モンゴル自治区と遼寧省の境界付近 |
紀元前6000年 – 紀元前5500年 | 磁山文化 | 黄河下流域、河北省南部 |
紀元前5800年 – 紀元前5400年 | 老官台文化 | 黄河上流域、甘粛省から陝西省西部 |
紀元前5500年 – 紀元前4800年 | 新楽文化 | 遼河下流域、遼東半島 |
紀元前5400年 – 紀元前4500年 | 趙宝溝文化 | 灤河流域、内モンゴル自治区から河北省北部 |
紀元前5300年 – 紀元前4100年 | 北辛文化 | 黄河下流域、山東省 |
紀元前5000年 – 紀元前4500年 | 河姆渡文化 | 浙江省余姚市から舟山群島 |
紀元前5000年 – 紀元前3000年 | 大渓文化 | 長江中流域、三峡付近 |
紀元前5000年 – 紀元前3000年 | 馬家浜文化 | 杭州湾北部から太湖 |
紀元前5000年 – 紀元前3000年 | 仰韶文化 | 黄河中流域、河南省・陝西省・山西省 |
紀元前4700年 – 紀元前2900年 | 紅山文化 | 遼河上流域、内モンゴル自治区・遼寧省・河北省 |
紀元前4100年 – 紀元前2600年 | 大汶口文化 | 黄河下流域、山東省・安徽省・河南省・江蘇省 |
紀元前3400年 – 紀元前2250年 | 良渚文化 | 長江デルタ |
紀元前3100年 – 紀元前2700年 | 馬家窯文化 | 黄河上流域、甘粛省・青海省 |
紀元前3100年 – 紀元前2700年 | 屈家嶺文化 | 長江中流域、湖北省・湖南省 |
紀元前3000年 – 紀元前2200年 | 龍山文化 | 黄河中・下流域 |
紀元前2800年 – 紀元前2200年 | 宝墩文化 | 長江上流域、成都平原 |
紀元前2500年 – 紀元前2200年 | 石家河文化 | 長江中流域、湖北省 |
紀元前2100年 – 紀元前1500年 | 二里頭文化 | 黄河中流域、河南省偃師市 |
ウィキぺディア引用。